矢島楫子(読み)ヤジマカジコ

デジタル大辞泉 「矢島楫子」の意味・読み・例文・類語

やじま‐かじこ〔‐かぢこ〕【矢島楫子】

[1833~1925]女子教育家。肥後の生まれ。女子学院の初代院長をつとめ、キリスト教に基づいた教育を行った。明治26年(1893)日本基督教婦人矯風会を設立して会長となり、婦人運動・社会改良事業に尽くした。

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精選版 日本国語大辞典 「矢島楫子」の意味・読み・例文・類語

やじま‐かじこ【矢島楫子】

  1. 教育家熊本県出身。キリスト教主義の女子学院の院長をつとめ、終生女子教育に尽力。また、明治二六年(一八九三)日本基督教婦人矯風会を組織して、婦人の地位向上に貢献した。天保四~大正一四年(一八三三‐一九二五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「矢島楫子」の意味・わかりやすい解説

矢島楫子
やじまかじこ
(1833―1925)

女子教育者、社会改良家。天保(てんぽう)4年4月24日熊本藩総庄屋の家に生まれる。25歳で結婚、1男2女をもうけたが、35歳のとき離婚して矢島家に帰る。1872年(明治5)上京、40歳にして教員伝習所に学び、1876年新栄女学校教師となり、翌1877年受洗。1889年桜井女学校、新栄女学校が合併して女子学院となるや院長に就任、1914年(大正3)退職までキリスト教に基づいた教育によって多くの子女を訓育した。東京婦人矯風会(きょうふうかい)(1886)、日本キリスト教婦人矯風会(1893)を組織して会長となり、第7回矯風会世界大会(1906)に出席のため渡米し、ルーズベルト大統領に会見するなど、女性運動、社会改良事業に尽力。その姉には、順子(1825―1905。竹崎茶堂(たけざきさどう)(1812―1877)の妻で熊本女学校校長を務めた)、久子(1829―1919。徳富一敬(とくとみいっけい)(1822―1914)の妻で蘇峰(そほう)・蘆花(ろか)の母)、つせ子(1831―1894。横井小楠(よこいしょうなん)の妻)があり、矢島家の四姉妹としてつとに名高い。大正14年6月16日没。

[小股憲明 2018年3月19日]

『守屋東著、日本基督教婦人矯風会編『矢島楫子』(1923・婦人新報社)』『久布白オチミ編『矢島楫子伝』(1956・日本基督教婦人矯風会)』


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20世紀日本人名事典 「矢島楫子」の解説

矢島 楫子
ヤジマ カジコ

明治・大正期の教育家,婦人運動家 女子学院院長;日本基督教婦人矯風会創立者。



生年
天保4年4月24日(1833年)

没年
大正14(1925)年6月16日

出生地
肥後国上益城郡津森村杉堂(熊本県益城町)

本名
矢島 勝(ヤジマ カツ)

学歴〔年〕
教育伝習所卒

主な受賞名〔年〕
勲五等瑞宝章〔大正13年〕

経歴
細川藩郷士矢島忠左衛門の六女。安政5年25歳で結婚したが夫の酒乱に耐えられず10年で離婚。明治5年兄の看病のため39歳で上京、楫子と改名。教員伝習所に学び、小学校教員を経て新栄女学校教員、桜井女学校校長代理となる。46歳の時、伝道師ツルー夫人に感化されてキリスト教に受洗、19年に来日した米国婦人禁酒会のレビット夫人に接し、東京婦人矯風会を設立して会長(26年には日本基督教婦人矯風会となり会頭)となった。22年には新栄・桜井両女学校が合併してできた女子学院の院長に就任。矯風会の会長・会頭としては一夫一婦制の確立、廃娼運動禁酒運動に奔走し、39年米国での第7回万国矯風会大会に出席、89歳で米国婦人団体主催のワシントン軍縮平和会議に参加。また大正13年90歳を過ぎて婦人参政権獲得期成同盟会に加盟するなど、生涯を女子教育と婦人運動に尽くした。

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改訂新版 世界大百科事典 「矢島楫子」の意味・わかりやすい解説

矢島楫子 (やじまかじこ)
生没年:1833-1925(天保4-大正14)

女子教育者,社会改良家。熊本県出身。徳富蘇峰,徳冨蘆花の叔母で,熊本女学校長であった竹崎順子の妹。酒乱の夫と35歳で離婚,1872年(明治5)上京,教員伝習所で学び桜川小学校に奉職したが,78年新栄女学校に移り翌年受洗。80年桜井女学校長,89年女子学院長となり,1914年までミッション系女学校の教育に尽力した。1886年の万国婦人禁酒会遊説員レビット夫人の来日を機に,同年暮,東京基督教婦人矯風会を設立,93年には日本基督教婦人矯風会を組織してその会頭となった。1888年海外醜業婦取締りと一夫一婦制の請願を政府に建白,1911年吉原遊廓再興反対運動,翌年難波新地遊廓再興反対運動など廃娼運動を積極的に展開。21年高齢をおして渡米,ワシントン軍縮会議に日本婦人1万人署名の平和請願書を提出,世界平和にも尽力した。
婦人矯風会
執筆者:

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百科事典マイペディア 「矢島楫子」の意味・わかりやすい解説

矢島楫子【やじまかじこ】

明治・大正期の女子教育者。熊本県の生れ。徳富蘇峰徳冨蘆花兄弟の叔母。1872年上京し,教員伝習所に学び小学校に奉職。新栄女学校の舎監となったのち受洗。1889年女子学院の初代院長となり1914年まで在職。また日本基督教婦人矯風会を組織。廃娼運動を積極的に展開した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「矢島楫子」の意味・わかりやすい解説

矢島楫子
やじまかじこ

[生]天保3(1832).熊本
[没]1925.6.16.
日本基督教婦人矯風会の創立者。安政5 (1858) 年隣村の林七郎の後妻に入る。明治1 (68) 年夫の酒乱と暴力に耐えかね矢島家に復帰。同5年上京し,教員伝習所に学び翌年芝桜川小学校に奉職。 1877年築地新栄女学校舎監教諭に就任。 80年新栄女学校と桜井女塾の合併でできた桜井女学校校長となる。同年 12月 D.タムソンより受洗。 86年東京基督教婦人矯風会が発足し会頭に就任。 88年女子学院院長。このときから 82歳で引退するまで女子教育に貢献。 93年日本基督教婦人矯風会が組織され初代会頭に就任し,婦人団体の社会活動に尽力した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢島楫子」の解説

矢島楫子 やじま-かじこ

1833-1925 明治-大正時代の教育者,社会事業家。
天保(てんぽう)4年4月24日生まれ。徳富蘇峰・蘆花(ろか)の母久子の妹。酒乱の夫と離婚,明治5年上京し,教員伝習所でまなび小学校教員となる。22年女子学院院長に就任。19年東京婦人矯風会,26年日本基督教(キリストきょう)婦人矯風会を組織して会頭をつとめ,廃娼(はいしょう)・禁酒運動を展開した。大正14年6月16日死去。93歳。肥後(熊本県)出身。初名は勝(かつ)。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「矢島楫子」の解説

矢島楫子
やじまかじこ

1833.4.24~1925.6.16

明治・大正期の女子教育家・社会事業家。肥後国生れ。1872年(明治5)上京して教員伝習所に学ぶ。78年長老派教会の経営する新栄女学校の教諭兼舎監,81年桜井女学校の校長代理,90年には両校を合併した女子学院院長に就任。この間79年に受洗し,86年東京婦人矯風会の結成に参加。93年には日本基督教婦人矯風会の会頭となり,社会教育でも女性の地位向上に尽力した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「矢島楫子」の解説

矢島楫子
やじまかじこ

1833〜1925
明治・大正時代の教育家・婦人運動家
肥後(熊本県)の生まれ。夫の酒乱が原因で離婚後,キリスト教の洗礼をうけた。女学校で女子教育にあたり,女子学院初代院長となった。1886年東京婦人矯風会の創立に参加してその会頭となり,禁酒・廃娼運動,娼婦救済などに尽力した。万国矯風会大会に出席するなど国際的にも活躍した。徳富蘇峰・蘆花兄弟の叔母。

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367日誕生日大事典 「矢島楫子」の解説

矢島 楫子 (やじま かじこ)

生年月日:1833年4月24日
明治時代;大正時代の女子教育者;女性運動家。女子学院院長
1925年没

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世界大百科事典(旧版)内の矢島楫子の言及

【女性運動】より

… 売春禁止の要求は,1869年の津田真道による公娼廃止の建議が端緒となり,マリア・ルース号事件を契機に政府もこの問題をとり上げたが,廃娼運動の担い手は,キリスト教徒であった。アメリカ合衆国の女性運動に刺激され,86年に矢島楫子は〈東京婦人矯風会〉を結成し,平和,純潔,禁酒を目標にかかげ,姦通は男女双方を処罪すべきことを主張し,売春に反対し,一夫一婦制の強化を求めてねばり強い運動を進めた。 廃娼運動を支えた前近代的家族への批判,男女の人格的平等の思想は,恋愛の賛美,女性の自我の覚醒の主張へとつながっていく。…

【婦人矯風会】より

…世界の平和,純潔,酒害防止を三大目標とし,婦人保護事業,社会教育活動も行っている。前身は矢島楫子(かじこ)を会頭とする東京婦人矯風会(1886創立)で,海外醜業婦取締・一夫一婦制の建白,〈集会及政社法〉反対などに活躍した。日本基督教婦人矯風会として全国組織を確立してからは,遊廓再興反対など廃娼運動に精力的に取り組み,大正期には日本基督教婦人参政権協会を発足させ,婦人参政権運動にも力を注いだ。…

※「矢島楫子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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