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佐々木信綱 ささきのぶつな

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

佐々木信綱
ささきのぶつな

[生]養和1(1181)
[没]仁治3(1242).3.6. 高野山
鎌倉時代前期の武将。近江守。定綱の子。近江守護の嫡兄広綱が承久の乱に京方に加わったため,乱後守護に任じられた。文暦1 (1234) 年評定衆となったが,嘉禎2 (36) 年遁世。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐々木信綱 ささき-のぶつな

1181-1242 鎌倉時代の武将。
養和元年生まれ。佐々木定綱(さだつな)の4男。承久(じょうきゅう)の乱では,幕府方の北条泰時(やすとき)にしたがい,宇治川の戦いで軍功をたてた。近江(おうみ)(滋賀県)の守護となり,佐々木氏の主流となった。評定衆にくわえられたが,まもなく出家。仁治(にんじ)3年3月6日死去。62歳。法名は虚仮。

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朝日日本歴史人物事典の解説

佐々木信綱

没年:仁治3.3.6(1242.4.7)
生年:養和1(1181)
鎌倉前期の武将。佐々木四郎ともいう。定綱と新田義重の娘との子。北条義時の女婿。父に従い洛中警衛に当たり,元久2(1205)年には平賀朝雅追討に活躍。鎌倉に出仕し,左近将監右衛門尉承久の乱(1221)では宇治川の戦で先陣を遂げる。この乱で兄広綱が京方として処刑されたため,嫡流を継ぎ近江国守護となる。安貞1(1227)年検非違使,翌年叙爵。寛喜3(1231)年近江守。貞永1(1232)年従五位上。この間たびたび京都への使者となる。文暦1(1234)年評定衆。同年出家し法名虚仮。嘉禎2(1236)年遁世を志して評定衆を辞し上洛した。<参考文献>上横手雅敬『鎌倉時代政治史研究』

(佐々木文昭)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ささきのぶつな【佐々木信綱】

1181‐1242(養和1‐仁治3)
鎌倉前期の武将。法名虚仮。近江源氏佐々木定綱の四男。北条義時の女婿。承久の乱で一族の多くが京方についたが幕府方にたち,宇治川合戦の先陣となる。乱後,兄広綱を斬り,近江守護を継ぎ,佐々木荘,豊浦荘,朽木荘,栗太北郡などの地頭職を獲得,佐々木一族の本宗となった。検非違使,近江守,幕府評定衆を歴任。嘉禎年間(1235‐38)には子高信が延暦寺との間に紛争を起こす。晩年しきりに遁世を願い,1241年(仁治2)高野山に登り翌年没した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

佐々木信綱
ささきのぶつな
(1180―1242)

鎌倉前期の武将。定綱(さだつな)の四子。母は新田義重(にったよししげ)の女(むすめ)。通称四郎。1200年(正治2)幕命を受け近江柏原(おうみかしわばら)荘(滋賀県米原(まいばら)市)の住人柏原為永(ためなが)を討伐、1205年(元久2)には幕府軍に従い京都守護平賀朝雅(ひらがともまさ)を攻め、左近将監(さこんのしょうげん)に任ぜられた。1221年(承久3)に承久(じょうきゅう)の乱が起こると、一族の多くが京方についたにもかかわらず、日ごろ鎌倉に居住していた信綱は北条泰時(やすとき)に従い攻め上がり宇治川の合戦で戦功をあげた。乱後、京方に加わった兄広綱(ひろつな)にかわり近江守護に任ぜられ、1227年(安貞1)佐々木氏の本荘(ほんしょう)である佐々木荘(滋賀県近江八幡(はちまん)市)、堅田(かたた)荘(同大津市)などの地頭職(じとうしき)を与えられた。1234年(文暦1)評定衆(ひょうじょうしゅう)に加わり2年間在職。辞職後にわかに上洛(じょうらく)して出家し虚仮阿(きょかあ)と号し遁世(とんせい)した。[太田順三]

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世界大百科事典内の佐々木信綱の言及

【佐々木氏】より

…近江の古代・中世豪族。孝元天皇の皇子大彦命の子孫,狭々城山君を祖と伝える佐々貴山公氏(以下佐々貴氏と略称)は,沙沙貴神社を氏神とし,近江国蒲生郡を中心に栄え,奈良・平安時代には蒲生郡,神崎郡の大領などに就任した。一方,宇多天皇の皇子敦実親王の子の雅信は936年(承平6)源の姓を賜って臣籍に下り,その孫成頼は近江に土着して宇多源氏系佐々木氏の祖となり,孫の経方は蒲生郡佐々木荘小脇の館に住んだ。こうした佐々貴氏の北に接して宇多源氏系佐々木氏が土着し,両者の同化も進んだ。…

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