日本歴史地名大系 「三輪崎村」の解説
三輪崎村
みわさきむら
中世は佐野庄に含まれたと考えられる。熊野街道大辺路が当地を通っていたこともあって、三山に参詣者を案内する先達がいた。康正三年(一四五七)四月二四日付の借銭状写(米良文書)に「ミわさきおくの二郎兵衛」の名がみえ、二郎兵衛は旦那株を質に那智の
慶長検地高目録では「佐野三輪崎村」として高一千六六一石余、小物成一・一四四石。寛永五年(一六二八)正月調べの御帳(「新宮市史」所引)では三輪崎村として高六八三石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報