三輪崎村(読み)みわさきむら

日本歴史地名大系 「三輪崎村」の解説

三輪崎村
みわさきむら

[現在地名]新宮三輪崎・三輪崎一―三丁目

広津野ひろつのの南にあり、東南部は岬状に熊野灘に突出る。大部分は山地で集落は熊野灘沿岸部に点在する。南は佐野さの村。景勝の地で海上にはすず島・島がある。孔島は浜木綿の自生地。村内を佐野川が南流して熊野灘に注ぎ、村の北の高森たかもりに小集落がある。「続風土記」は「地形に依るに三輪の三は真と同しく美称の詞、輪は湾の義にて三輪崎は大湾の岬の義なるへし」と記す。「万葉集」巻三に「みわ埼狭野さきさのの渡り」と詠まれ、また巻七に「神の崎荒磯も見えず(以下略)」とあるのも、当地にあてる説もある。

中世は佐野庄に含まれたと考えられる。熊野街道大辺路が当地を通っていたこともあって、三山に参詣者を案内する先達がいた。康正三年(一四五七)四月二四日付の借銭状写(米良文書)に「ミわさきおくの二郎兵衛」の名がみえ、二郎兵衛は旦那株を質に那智実報じつぽう院から五貫文を借りている。同じく当地に居住したと思われる先達には「箕輪崎政所」(寛正四年三月二一日付「旦那売券」同文書)・「三輪崎之与一左衛門入道家経」(明応六年四月一一日付「旦那売券」同文書)がいた。

慶長検地高目録では「佐野三輪崎村」として高一千六六一石余、小物成一・一四四石。寛永五年(一六二八)正月調べの御帳(「新宮市史」所引)では三輪崎村として高六八三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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