改訂新版 世界大百科事典 「上諏訪」の意味・わかりやすい解説
上諏訪 (かみすわ)
信濃国諏訪盆地の中心町。諏訪藩高島城下に,甲州道中上諏訪宿や上諏訪温泉が複合して形成された。上諏訪の地名は古く,諏訪湖北岸の下諏訪に対し湖の東南一帯をさす。近世には下桑原村を主に小和田村,大和(おわ)村等にわたる。行政区画上の正式呼称としては,1874年3村合併で生まれた上諏訪村が最初。上諏訪の本来の中心は,湖の南方,守屋山山麓の諏訪上社付近で,古代に祭政一体の勢力圏を生み,中世に諏訪信仰の全国への広がりや諏訪氏武士団の活躍から大いに繁栄した。近世に入ると,その北方の湖東に形成された城下町,宿場町に中心が移った。高島城は,1590年(天正18)入封の日根野高吉が,これ以前の諏訪氏の上原城,金子城を破却し,新たに湖岸に築城した。湖水と数条の河川に囲まれ水城,浮城と称された。1601年(慶長6)帰封の諏訪氏が引きつづき城と城下町を整えた。本丸の北の二の丸,三の丸や南の島崎の地に重臣上士の武家屋敷を配置し,北に縄手が延び柳口枡形の番所を境に甲州道中沿いの町場に接続した。甲州道中は下桑原村内を南東から北西に走り,城下町の大半はその沿線に展開する。そのうち縄手に近い片羽,下町は藩士屋敷町で,東寄りの清水町,角間町,桑原町,上町,仲町等に町人町が形成され,上原,金子の旧城下町町人が移住した。後期の記録では,道中沿いの町家が約630軒,道中北側の岡村南沢,北沢に120軒,道中南側の諸町,諸小路にも町家が軒をつらねている。寺社は町北部の山麓に集中。上諏訪宿は道中沿いの桑原町,上町等の一画4町56間を御伝馬屋敷として設定された。1646年(正保3)に問屋設置。本陣,脇本陣はない。宿駅通りには宿問屋,旅籠屋のほか諸問屋,小売店が並ぶ。町政をになう町名主,町惣代になった者も,この界隈の米穀・塩・魚問屋や酒造家などに多い。温泉は蒸湯,精進湯,小和田平湯,湯之脇平湯の4ヵ所にあり,近在の湯治客や旅人で繁盛した。上諏訪村は1891年上諏訪町,1941年諏訪市となる。
執筆者:古川 貞雄
上諏訪[温泉] (かみすわ)
長野県中部,諏訪市にある温泉。単純泉,65~80℃。JR中央本線沿線の有数の温泉で,諏訪湖東岸から市街地にかけて点在する泉源は500を数える。湯量の豊富なことは日本有数であり,旅館,ホテルばかりでなく,共同用,学校用,家庭用などに広く給湯される。霧ヶ峰や蓼科高原への基点で,冬季は諏訪湖でのスケート,ワカサギ釣りが楽しめることから,温泉は観光都市諏訪の中核となっている。
執筆者:谷沢 明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報