日本歴史地名大系 「上三川村」の解説
上三川村
かみのかわむら
現上三川町域南東部に位置する。南北に延びる
延元四年(一三三九)三月二〇日の北畠親房御教書写(結城文書)に「上三川城」の名がみえる。永享一〇年(一四三八)二月二九日には戸祭高義らが当地の知行分である権現堂免田を一〇年間六郎大夫に売却している(「戸祭高義等連署田地去状」健田須賀神社文書)。天台宗にかかわる二諦義案立(輪王寺蔵)が文明九年(一四七七)に真海、両界儀軌見聞(叡山文庫)が同一一年に信俊によって当地で筆写されている。那須政資・高資の父子対立の際、天文八年(一五三九)と推定される一〇月一八日の小山高朝書状(白川文書)によると、九月一八日以降に高資方の結城政勝が当地に再三攻め込んでいる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報