朝日日本歴史人物事典 「結城政勝」の解説
結城政勝
生年:永正1(1504)
戦国時代の武将。下総国結城城(茨城県結城市)城主。政朝の子。通称三郎。左衛門督に任ず。兄とみられる政直との抗争に勝利を収め,結城氏の当主の座を奪取,弟で小山氏の養子となった高朝と同盟し,宇都宮・佐竹・小田氏らに対峙した。弘治2(1556)年夏には古河公方や北条氏康の支援のもとに,小田氏治を撃破して常陸西部へ領土を拡大したが,氏康の介入と結城氏の力量不足のため,中郡,海老島など一部の領土を除くその大半を失った。この年の11月25日,こうした現状を打破して結城氏の権力を強化すべく,家臣団統制に重点を置いた「結城氏新法度」を制定した。後半生は,家督継承時の暗い過去や妻,息子との早い死別などに誘われ,神仏への信仰心を深めて半僧半俗の身となり,仏像を刻み,天神図や自画像を描き続けた。<参考文献>『結城市史』4巻,『小山市史』通史編Ⅰ
(市村高男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報