日本歴史地名大系 「上下代官所跡」の解説 上下代官所跡じようげだいかんしよあと 広島県:甲奴郡上下町上下村上下代官所跡[現在地名]上下町上下翁(おきな)山の西、町の南側高台にあり、元禄一三年(一七〇〇)の備前検地によって生じた天領五万石支配のために設けられた代官所。同年曲淵市郎右衛門が赴任。当初の支配地は安那(やすな)郡一〇ヵ村・神石(じんせき)郡三七ヵ村・甲奴郡二四ヵ村に及んだが、享保二年(一七一七)五万石のうち二万石余を割いて豊前国中津藩領とされた。この縮小に伴い上下代官所は石見銀山(現島根県大田市)大森代官所の出張陣屋に改められ、安那郡八ヵ村と神石郡五ヵ村が笠岡(かさおか)陣屋(跡地は現岡山県笠岡市)付となり、上下陣屋は神石郡一〇ヵ村五千九〇二石余、甲奴郡一二ヵ村七千一八〇石余を支配することとなった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by