出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
岡山県南西端,広島県に接する市。1952年笠岡,金浦2町が合体,市制。以後周辺農村と北木島,白石島などのある笠岡諸島を編入した。人口5万4225(2010)。地名は古代の笠の国または笠臣(かさおみ)の国にちなむ。瀬戸内海航路の港として古くから繁栄し,現在も笠岡諸島や四国と結ぶ航路がある。1872-75年(明治5-8)の間は小田県庁所在地で,当時の県庁の門や掘割が現存する。明治以後は製糸,紡績で近代工業が始まったが,現在繊維工業は衰退し,神島(こうのしま)の化学肥料工業,隣接する福山市の鉄鋼コンビナートの一部が主要工場である。JR山陽本線が通じ,山陽自動車道のインターチェンジがある。笠岡湾はカブトガニ(天)の生息地として知られ,市立の保護センターもあるが,1968年から始まった湾内の大干拓工事(笠岡湾干拓)で生息地の多くが失われた。市南部には津雲貝塚(史)など縄文時代の貝塚が多い。また小野竹喬の作品を集めた竹喬美術館がある。
執筆者:由比浜 省吾
明治以前は備中国の南西端に位置し,商港として発展する。古くは小田郡魚緒(いおすな)(魚渚)郷と呼ばれ,荘園制の発達によって陶山(すやま)荘に属した。戦国末期は毛利輝元の治政下にあり,1619年(元和5)福山藩水野領になった際,幕府が引き渡した郷村高帳に笠岡村1217石余とある。71年(寛文11)の水野地詰では,笠岡町97石余,笠岡村635石余と町,村を分離し,村の中に町場を設定した。近世初頭の笠岡は,港町を中心に初期豪商の隔地間交易による商業活動が盛んであったが,1622年福山城下町の整備にあたって,笠岡商人・職人の移住を命じたので一時期衰微した。しかし元禄期(1688-1704)には回復し,西廻航路の商港として北前船も寄港しており,藩領東部の諸産物集散の拠点になった。1698年水野氏改易のあと天領となり,代官所(後に倉敷代官の出張陣屋)が置かれた。1871年備中国および備後6郡を管轄する深津県(翌年小田県と改称)の県庁所在地となった。
執筆者:土井 作治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新