上久保村(読み)かみくぼむら

日本歴史地名大系 「上久保村」の解説

上久保村
かみくぼむら

[現在地名]勝山町大久保おおくぼ

新町しんまち村・飛松とびまつ村の東、図師ずし村の北に位置し、飯岳いいだけ(大坂山)から北東方向へ延びてきた緩やかに傾斜する低丘陵末端部に立地する。天生田あもうだ(現行橋市)から香春かわら(現香春町)に至る香春道が通る。中世久保庄の遺称地。正保(一六四四―四八)頃までは新町村と飛松村を含んでいたとみられる(正保国絵図ほか)。元和八年人畜改帳では高一千二〇四石余、家数一七八・人数三〇八(うち百姓一四・名子一九・山ノ口一・鍛冶二・大工一)、牛三四・馬一九。郷村高帳では高一千二一七石余、うち新田高一一一石余。旧高旧領取調帳では高一千二九一石余。明治三年(一八七〇)の人別改帳(竹内家保管文書)によると家数九八・人数四六四。


上久保村
かみくぼむら

[現在地名]美山町大字内久保うちくぼ 上久保

平屋ひらや一〇ヵ村の一。由良川上流の右岸にあり、若狭(小浜)街道に沿った山間集落。北東は知井ちいみなみ村、川を下れば大内おおうち村。古代は「和名抄」に記す弓削ゆげ郷に属し、中世は野々村ののむら庄の地。

慶長七年(一六〇二)幕府領、元和五年(一六一九)より園部藩領となる。元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳によると、高一五九・八四二石、旧高旧領取調帳では三〇二・一九八石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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