日本歴史地名大系 「上八万村」の解説
上八万村
かみはちまんむら
下八万村の西にあり、南東は
慶長二年(一五九七)の分限帳に上八万とみえ、六〇〇石が稲田四郎左衛門、二六二石余が真殿伝内、六五石余が木全七兵衛、一六六石余が篠岡(篠原か)半兵衛、二三七石余が新川四郎兵衛、二〇〇石が井後新次郎、五〇石が河野源次郎の各知行分。このうち篠原半兵衛分のうち一四〇石・百姓三人は慶長三年福永左衛門次郎に加増された。同九年の検地帳(徳島城博物館蔵)では高一千五八三石余。正保国絵図でも高一千五八三石余。寛文四年の郷村高辻帳によると田一千二六五石余・畠三一七石余、芝山と注記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報