日本歴史地名大系 「三沢市」の解説 三沢市みさわし 面積:一二〇・六八平方キロ東は太平洋に臨み、小川原(おがわら)湖の東側海岸付近一帯に広がる広原の地。南北約二四キロ、東西は最大で約八キロの南北に細長い狭三角形をなし、全体がほとんど平坦で、わずかに東方に傾斜した火山灰台地である。北は小川原湖から流れる高瀬(たかせ)川をもって上北郡六ヶ所(ろっかしょ)村、西は同上北町、南西は同六戸(ろくのへ)町、南は同下田(しもだ)町、南東は同百石(ももいし)町に接する。海岸部を南北に国道三三八号が延び、市の西南端を国鉄東北本線が通る。三沢―十和田間には十和田観光電鉄が走る。市街地の北に三沢空港があり、青森空港とともに当県の空の玄関となっている。〔原始・古代〕市域内の考古遺跡は昭和五三年(一九七八)現在で計二八が確認される。平畑(ひらはた)に平畑遺跡、早稲田(わせだ)には野口(のぐち)・風穴(かざあな)・山中(やまなか)・早稲田・小田内沼(おだないぬま)の各遺跡・貝塚、猫又(ねこまた)には駒沢(こまさわ)・猫又の遺跡がある。野口貝塚は縄文時代早期・前期の貝塚で、多数の土器・石器が出土し、貝層から離れた地区からは石器・土偶・石棒・注口土器が出土する。早稲田遺跡は縄文早期の尖底土器が出土する。〔中世・近世〕中世は糠部(ぬかのぶ)郡に属した。糠部は古代からの馬産地であったらしく、現上北郡六ヶ所村から野辺地(のへじ)町辺りと推定される尾駮(おぶち)牧の駒の名は、平安時代の「後撰集」や「蜻蛉日記」にみられる。永正(一五〇四―二一)頃の糠部九箇部馬焼印図(古今要覧稿)に「六ノ部 印大略千鳥ひあふきくろ馬印也 きさき 八千疋のまきなり、印有文字」とみえるが、このきさき牧は当市域にかかっていたものと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三沢市」の意味・わかりやすい解説 三沢〔市〕みさわ 青森県東部,太平洋に面する市。 1958年市制。三本木原の台地の東端に位置し,夏季のやませと称する偏東風により冷害に悩まされることがある。 41年に平坦な洪積台地を利用して旧海軍の航空基地が設けられ,第2次世界大戦後はアメリカ空軍基地となった。 58年には航空自衛隊北部航空方面隊司令部が設置され,民間航空にも使用されている。戦後から続けられた淋代平 (さびしろたい) の大開田で水田面積が大幅にふえた。 65年内陸型工業団地の造成が行われた。十和田湖観光の東の玄関にあたり,十和田市まで十和田観光電鉄が通じている。古牧温泉があるほか,小川原湖民族博物館,三沢市歴史民俗資料館などがある。淋代海岸は 1931年アメリカ人飛行士 H.ハーンドン,C.パングボーンによる太平洋無着陸横断飛行の出発地点となった。面積 119.87km2。人口 3万9152(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by