上名栗村(読み)かみなぐりむら

日本歴史地名大系 「上名栗村」の解説

上名栗村
かみなぐりむら

[現在地名]名栗村上名栗

現名栗村の中央部・北部を占め、入間川(名栗川)上流域の山間に立地。川越城下から秩父大宮郷へ至る秩父往還が通る。秩父へは下名栗村から入り、当地を北進し、地内名郷なごうでそのまま北進して山伏やまぶし峠越であし久保くぼ(現横瀬町)を経る道と、北西に進んで妻坂つまさか峠越で横瀬よこぜ(現同上)を経る道、西進して鳥首とりくび峠越で浦山うらやま(現秩父市)を経る道があった。なお山伏峠を越えたのち北東進して正丸しようまる峠越で坂元さかもと(現飯能市)に至る道、地内森河原もりがはらから北東進して天目指あまめざす峠越で南川みなみかわ(現同上)への道、新館につたちから東進して豆口まめくち峠越でみなみ(現同上)への道、栃屋谷とちやがやから東進して仁田山にたやま峠越で原市場はらいちば(現同上)への道もあった。

田園簿に村名がみえ、畑高二七九石余、幕府領。寛文八年(一六六八)検地帳(町田家文書)によれば上畑五町九反余・中畑九町三反余・下畑二二町八反余・下々畑三五町四反余・切畑二三町九反余。延宝七年(一六七九)に新開分の、享保八年(一七二三)には全村検地が実施された(文政六年「村明細帳」同文書)。同七年の村明細帳(同文書)によれば高四二〇石余、反別一〇七町四反余(うち永荒地三町二反余・屋敷地二町五反余)、ほか見取畑二町余(延宝七年検地分)、家数三四八(本百姓三一五・水呑三三)、馬四七。酒屋一軒があり造酒高一〇〇石、農間に男は炭を焼き販売し、女は木綿・麻など織物に従事した。小物成は荏四斗二升・大豆八斗四升・御六尺給米八斗四升余・伝馬宿入用米二斗九升余・蔵前入用金永一貫五〇文・漆一貫四〇〇目(代金として永九八〇文を得ていた)・紬永七二〇文(紬二〇端で永一貫八〇〇文)・綿永二貫六七二文(綿四貫八五八匁で永三貫四〇〇文、綿一〇〇目につき永五五文が課された)・紙舟役永八六八文・川運上永三〇〇文・紙売出永八〇文(紙二〆で永四〇〇文)・萱銭永二五〇文(角谷入・人見入の両入会秣場分)木代永二八二文、ほか口永一貫文など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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