日本歴史地名大系 「山伏峠」の解説 山伏峠やまぶしとうげ 岩手県:和賀郡沢内村川舟村山伏峠沢内村川舟(かわふね)と岩手郡雫石(しずくいし)町南畑(みなみはた)の境にある標高五四三メートルの峠。盛岡城下からの沢内街道において唯一の峠。沢内街道は鶯宿(おうしゆく)(現雫石町)から長橋(ながはし)峠越で沢内に入ったが、寛文一一年(一六七一)川舟村貝沢(かいざわ)の荻原(おぎはら)に野馬(盛岡藩放牧場)が置かれたので、放牧に支障があるとして路線変更になり、南畑から当峠越が沢内街道の本道とされたという(内史略)。「雫石歳代日記」はこの変更を同九年としている。以来沢内通に属する川舟・猿橋(さるはし)・太田(おおた)・新町(しんまち)・前郷(まえごう)・大野(おおの)の沢内村六ヵ村と湯田(ゆだ)村(現湯田町)から盛岡城下へ至る重要な街道となった。正保国絵図に「山伏峠 難所三里ノ間 雪中牛馬不通」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「山伏峠」の意味・わかりやすい解説 山伏峠やまぶしとうげ 岩手県中西部、岩手郡雫石町(しずくいしちょう)と和賀(わが)郡西和賀町(にしわがまち)の境にある峠。標高543メートル。奥羽山系の和賀岳(1439メートル)の東麓(とうろく)にあり、雫石川の支流南畑(みなみはた)川と和賀川の支流横川の分水界をなす。江戸時代は城下町盛岡と沢内盆地を結ぶ沢内街道が通じていたが、豪雪地帯で交通の難所であった。現在は山伏トンネルができ、除雪の機械化が図られ、冬季もバス交通が確保されている。[金野靜一] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例