上宅原村(読み)かみえいばらむら

日本歴史地名大系 「上宅原村」の解説

上宅原村
かみえいばらむら

[現在地名]北区長尾町宅原ながおちようえいばら鹿の子台南町かのこだいみなみまち六丁目・上津台こうづだい九丁目

下宅原村の西にある有馬ありま郡の村。村域北部を長尾川が東流。慶長国絵図にはしも(下宅原村)の西に当村とみられるおか村・北向きたむかい村四一九石余と上村一五〇石がみえる。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳では下宅原村とともに玄蕃(有馬豊氏)知行の宅原村一千六五石余に含まれた。領主変遷二郎にろう村に同じ。正保郷帳に上宅原村として高付され、高一千五五石余。天保郷帳は高一千八三石余で、「古者岡村・豊浦村・有井村三ケ村」と注記する。鎮守素盞嗚尊すさのおのみこと神社は、応安四年(一三七一)一〇月七日に有馬温泉から広峯ひろみね(現姫路市)へ向かった京都祇園社前執行顕詮が、家原えいばら庄内大道の左に見たという牛頭天王社(祇園執行日記)のことと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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