上安田村(読み)かみやすだむら

日本歴史地名大系 「上安田村」の解説

上安田村
かみやすだむら

[現在地名]酒田市上安田

古川ふるかわ村の南にあり、地内を郷野目ごうのめ堰が北東から南西に流れる。長享三年(一四八九)書写の一条八幡宮祭礼日記(市条八幡神社文書)に「一、中比、安田殿ト云シ奉行者ノ時、大クノ荒付ヲ田畠ニヲコシ、社の後ヲせキニホリ末代ノ寄進ニ付申候、此ノせキノタツ事ハ、至徳元年四月八日ニホリ候、田畠已下郡中ノ人夫ヲモツテ堀ラレ候也」とみえる。当地の安田殿が至徳元年(一三八四)掘削したという堰は、市条いちじよう(現飽海郡八幡町)水上から荒瀬川の水を取入れて当村を流れる郷野目堰にあたる。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高三五五石余。寛永元年庄内高辻帳の高五五九石余。貞享四年(一六八七)には草刈地の鷹尾たかお山の山札四〇枚を所有しており、米二俵を納めている(「鷹尾山新古留帳」相馬文書)


上安田村
かみやすだむら

[現在地名]松任市上安田町

源兵衛島げんぺいじま村・番田ばんだ村・福永ふくなが村の東に位置。慶長三年(一五九八)九月、当村の諸役が前田利家から免除されている(→番田村正保郷帳によると高三二二石余、田方二〇町二反余・畑方一町二反余、ほかに新田高一三二石余、田方六町六反余・畑方二町一反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(新松任町史)では高五〇六石、免四ツ九歩、小物成は川役三〇目(ほかに三〇目退転)


上安田村
かみやすたむら

[現在地名]丸岡町上安田

下安田村の南東村の南にある。慶長六年(一六〇一)九月九日付結城秀康知行宛行状(山川家文書)に「安田村」がみえる。正保郷帳以降、上安田村として分立。同帳によれば田方八四二石余・畠方三〇石余。正保二年(一六四五)より松岡藩領、享保六年(一七二一)再び福井藩領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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