上平寺跡(読み)じようへいじあと

日本歴史地名大系 「上平寺跡」の解説

上平寺跡
じようへいじあと

[現在地名]伊吹町上平寺

上平寺集落北西の標高約六六〇メートルの山中にあり、谷を隔てた西方弥高やたか寺跡がある。上平寺は沙門三修が開基したと伝える伊吹山護国寺(伊吹山寺)の一坊であったとみられ、カミヒラデラともよんだ。寺伝では神護景雲年間(七六七―七七〇)泰澄が草創、もと大谷寺と称していたが、のち上平寺と改めたという。現在、跡地の一画に上平寺の法灯を受継ぐ杉本すぎもと坊がある。

明応五年(一四九六)一〇月二〇日の大原庄百姓等連署書状(坂田郡志)に、「上平仏所」建立のため彼らが伊吹山中の地を神照じんしよう(現滋賀県長浜市)に寄進したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む