上打穴上村・上打穴中村(読み)かみうたのかみむら・かみうたのなかむら

日本歴史地名大系 「上打穴上村・上打穴中村」の解説

上打穴上村・上打穴中村
かみうたのかみむら・かみうたのなかむら

[現在地名]中央町打穴上うたのかみ

北流する打穴川に沿って、上流から下流へ上打穴上村・上打穴中村と続く。上打穴上村の南西さかい村で、境村との境界が分水嶺をなす。東の筒宮つつのみや山系、西の二上ふたかみ山系に挟まれた起伏の大きい山地の村である。もと上打穴村で、正保二年(一六四五)上打穴上村と上打穴北村とに分れ、寛文七年(一六六七)上打穴上村は上打穴上村と上打穴中村に分村、延宝六年(一六七八)上打穴上村は再び上打穴上村と上打穴里村とに分れた(作陽誌)。その後またまた上打穴上村は上打穴上村と上打穴村とに分れるが、明治五年(一八七二)合併して上打穴上村となる。同八年上打穴上村と上打穴中村は合併して上打穴村となり、のち打穴上村となった(久米郡誌)

慶長五年(一六〇〇)の小早川秀秋宛行状(萩藩閥閲録)によれば、日野左近景幸が上打穴村で一千六〇六石などを知行している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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