朝日日本歴史人物事典 「上杉房定」の解説
上杉房定
生年:生年不詳
室町時代の武将。越後守護。民部大輔,相模守。越後上条城(新潟県柏崎市)城主上杉清方の子。宝徳1(1449)年に従兄弟の上杉房朝の跡を継いで守護となる。翌2年に長尾邦景を滅ぼし,以後重臣の長尾頼景,飯沼頼泰らに支えられて国政を主導した。享徳3(1454)年から上杉氏と古河公方足利成氏の戦いが始まると,関東に出兵して上杉方の中核として活動。その後越後に戻るが,次男の顕定が関東管領になると上杉氏の長老の地位に立ち,文明14(1482)年には室町幕府と成氏の和睦を成立させた。関東の抑えとして幕府の信任を得,京都の公家や文化人とも多く交わり,聖護院道興,飯尾宗祇,万里集九らも越後府内の房定のもとに来ている。足掛け46年守護の職にあり,越後守護上杉氏の全盛期を現出させた。<参考文献>『新潟県史』通史編2巻
(山田邦明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報