上杉清方(読み)うえすぎ・きよかた

朝日日本歴史人物事典 「上杉清方」の解説

上杉清方

生年生没年不詳
室町時代の武将山内上杉氏当主越後守護上杉房方の子で,関東管領上杉憲実実弟。兵庫頭。はじめ越後の上条(新潟県柏崎市)にいたが,永享11(1439)年に鎌倉公方足利持氏が滅亡すると管領憲実により鎌倉に呼び寄せられて家督政務を譲り受け,関東を統轄する地位に立った。翌12年に結城氏朝が持氏の遺児安王,春王を擁して挙兵すると,室町幕府後援を得て,諸大名軍勢を率いて結城城を囲み,翌嘉吉1(1441)年に同城を陥落させた。しかしその後まもなく謎の自殺を遂げた。理由も年月日も不明だが,文安1(1444)年9月以前であることは確からしい。

(山田邦明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉清方」の解説

上杉清方 うえすぎ-きよかた

?-1446 室町時代の武将。
上杉憲実(のりざね)の弟。父は越後(えちご)守護上杉房方。上条(じょうじょう)上杉家の祖。永享11年出家した兄にまねかれ甥(おい)の憲忠のかわりに関東管領の職務をおこなう。嘉吉(かきつ)元年足利持氏の遺児をたてて挙兵した結城氏朝をほろぼし,文安3年遺児を京都に護送。その帰途自殺した。原因は不明。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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