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上杉房顕 うえすぎ ふさあき

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

上杉房顕 うえすぎ-ふさあき

1435-1466 室町時代の武将。
永享7年生まれ。上杉憲実の子。鎌倉公方(くぼう)足利成氏(しげうじ)にほろぼされた兄憲忠の跡をつぎ,享徳4年関東管領となる。同年武蔵(むさし)分倍河原(東京都)で上杉持朝長尾景仲の助けをえて,成氏とたたかうが敗北。その後も戦いをつづけ,寛正(かんしょう)7年2月12日武蔵五十子(いかつこ)(埼玉県)の陣中で没した。32歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

上杉房顕

没年:文正1.2.12(1466.2.26)
生年:永享7(1435)
室町時代の武将。関東管領。憲実の子,憲忠の弟。幼名竜春。兵部少輔。父憲実により他の兄弟が出家させられたとき,ひとり在俗のまま在京を命じられ,所領も譲られた。その後還俗した兄憲忠が享徳3(1454)年に鎌倉公方足利成氏に謀殺され,公方方と上杉方の全面的な戦闘が開始されると,翌康正1(1455)年長尾景仲らに請われて上杉方の将帥となり,関東管領の職にもついた。そして武蔵五十子を拠点として成氏方と対陣したが,戦局を好転できぬまま五十子の陣中で死去した。

(山田邦明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の上杉房顕の言及

【享徳の乱】より

…両者は一時和睦したが,54年12月成氏が憲忠をその第に召して謀殺するに及び,成氏と両上杉との間の対立は決定的となり,四半世紀をこえる享徳の乱が勃発した。長尾景仲らは上杉憲実の次男房顕を京都から迎えて山内上杉家を相続させて関東管領となし,また幕府も上杉房顕を助けて成氏を討つこととし,今川範忠を大将として鎌倉に攻め込ませた。ために成氏は鎌倉から下総古河に走り,房顕は上野から鎌倉に移った。…

※「上杉房顕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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