上杉房顕(読み)うえすぎ ふさあき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉房顕」の解説

上杉房顕 うえすぎ-ふさあき

1435-1466 室町時代武将
永享7年生まれ。上杉憲実の子。鎌倉公方(くぼう)足利成氏(しげうじ)にほろぼされた兄憲忠の跡をつぎ,享徳4年関東管領となる。同年武蔵(むさし)分倍河原(東京都)で上杉持朝長尾景仲の助けをえて,成氏とたたかうが敗北。その後も戦いをつづけ,寛正(かんしょう)7年2月12日武蔵五十子(いかつこ)(埼玉県)の陣中で没した。32歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の上杉房顕の言及

【享徳の乱】より

…両者は一時和睦したが,54年12月成氏が憲忠をその第に召して謀殺するに及び,成氏と両上杉との間の対立は決定的となり,四半世紀をこえる享徳の乱が勃発した。長尾景仲らは上杉憲実の次男房顕を京都から迎えて山内上杉家を相続させて関東管領となし,また幕府も上杉房顕を助けて成氏を討つこととし,今川範忠を大将として鎌倉に攻め込ませた。ために成氏は鎌倉から下総古河に走り,房顕は上野から鎌倉に移った。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」