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吉田兼倶 よしだかねとも

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉田兼倶
よしだかねとも

[生]永享7(1435)
[没]永正8(1511).2.19.
室町時代の神道家。本姓は卜部氏。初名は兼敏。父は兼名。家は代々神祇権大副として,吉田神社平野神社の神官であった。神儒仏三教混合のうえに立って,唯一神道 (吉田神道) を大成した。文明 16 (1484) 年京都神楽岡に宮を創設し,神祇斎場所として,天神地祇のすべてを祀り,明応1 (92) 年には神祇官復興の勅許を得,神祇管領長上と称するなど,該博な知識と政治的手腕によって,朝廷,室町幕府に取入り,神道界の支配者となった。

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デジタル大辞泉の解説

よしだ‐かねとも【吉田兼倶】

[1435~1511]室町後期の神道家。本姓、卜部(うらべ)。京都吉田神社の神官。吉田神道の大成者。朝廷・幕府に取り入り、神祇伯(じんぎはく)白川家をしのいで全国の神社・神職を支配した。著「唯一神道名法要集」「神道大意」「中臣祓抄」など。

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百科事典マイペディアの解説

吉田兼倶【よしだかねとも】

室町後期の神道家。本姓卜部(うらべ)。吉田神道の大成者。1493年神祇大副(じんぎのたいふ)となり,神祇道を総管する野望をもって,日蓮宗徒と結んで彼の神道説を権威づけた。
→関連項目中世日本紀

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉田兼倶 よしだ-かねとも

1435-1511 室町-戦国時代の神道家。
永享7年生まれ。京都吉田神社の祠官で,従二位,神祇大副(じんぎたいふ)。唯一神道(吉田神道)をとなえる。後土御門(ごつちみかど)天皇,将軍家,公卿(くぎょう)に教えをひろめ,神祇管領長上(かんれいちょうじょう)を自称。地方の神社に神位,神職に位階をさずける制度をつくりあげ,吉田神道隆盛の基礎を確立した。永正(えいしょう)8年2月19日死去。77歳。京都出身。本姓は卜部(うらべ)。初名は兼敏。著作に「唯一神道名法要集」「神道大意」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

吉田兼倶

没年:永正8.2.19(1511.3.18)
生年:永享7(1435)
室町後期の神道学者で吉田神道の大成者。吉田神社に仕える卜部兼名の子。15歳のとき,その名が『康富記』(中原康富の日記)に初めてみえ,春日社に羽蟻出現(1449年5月)の際の御卜に神祇権少副兼中務少輔として署名している。応仁1(1467)年,昇殿が許され侍従兼権大副となる。北野神社蔵『日本紀正義』によると,文明2(1470)年に「宗源神道誓紙」を定めている。このことから,このころ唯一宗源神道,のちにいう吉田神道を創唱したとみられる。この兼倶の神道説は『中臣祓抄』『日本書紀神代抄』などから知られる古典の注釈を通じて示したものと,天から授けられたと称する兼倶自身の『神明三元五大伝神妙経』などの創作を通じて示したものにわかれる。同4年従三位,同9年正三位,同12年従二位となる。この間の同5年,神祇斎場所の勅許を得,同9年に斎場所は全国諸神降臨の祥地であるとし,京都の七口において出入りする者に通行税を課して斎場所の費用に当てようとしたが果たさなかった。同16年,神楽岡に斎場所大元宮を創建するとともに,自邸内斎場所を吉田社境内に遷し,全国諸社は当斎場所より移ったものとする説を称して吉田家の力を伸ばした。また「神祇管領長上」を自称し,「宗源宣旨」「神道裁許状」を発給して神社界の組織化をはかるとともに,主著『唯一神道名法要集』を著し,儒仏は枝葉・花実であり,根本は神道だとする「根葉花実説」を強調した。没すると大元宮北方に葬られ,神竜大明神と称された。<参考文献>『吉田叢書』,西田長男『日本神道史研究』,久保田収『中世神道の研究』,萩原竜夫『中世祭祀組織の研究』

(白山芳太郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉田兼倶
よしだかねとも

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