上杉教朝(読み)うえすぎ のりとも

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉教朝」の解説

上杉教朝 うえすぎ-のりとも

1408-1461 室町時代武将
応永15年生まれ。上杉禅秀の子。父の挙兵(上杉禅秀の乱)失敗後,兄憲秋とともに京都にのがれ出家。将軍足利義持の命で還俗(げんぞく)して永享の乱や結城(ゆうき)合戦にくわわる。長禄(ちょうろく)元年堀越公方(くぼう)足利政知執事となる。寛正(かんしょう)2年疫病により病死,あるいは自殺したといわれる。54歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む