朝日日本歴史人物事典 「今川範忠」の解説
今川範忠
生年:応永15(1408)
室町時代前期の武将。駿河守護範政の長子。通称彦五郎。民部大輔,上総介。家督の器量なしとされ,自ら出家する。これにより扇谷上杉氏定の娘の子である,末子の千代秋丸が家督となるが,鎌倉府の動きを警戒する将軍足利義教は範忠を強く支持,永享5(1433)年家督を相続。還俗し,駿河守護となる。鎌倉公方足利持氏が幕府に反した永享の乱,それに続く結城合戦ではいずれも幕府軍に属し,一貫して関東の動静を監視する立場をとる。康正1(1455)年,鎌倉公方足利成氏(持氏の子)が挙兵した際には,討伐軍の大将として鎌倉に攻め入っている。<参考文献>『満済准后日記』,小和田哲男『駿河今川一族』
(長谷川弘道)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報