上田俊蔵(読み)うえだ・しゅんぞう

朝日日本歴史人物事典 「上田俊蔵」の解説

上田俊蔵

没年:明治6.12.21(1873)
生年:天明4.2.15(1784.4.4)
豊前国(大分県)宇佐郡上田村(幕府領)の庄屋。号は春荘。櫨栽培について大きな功績を残し,「櫨育翁」「櫨樹翁」とも呼ばれた。実から蝋を採り樹皮を染料とする櫨は近世九州の特産物であったが,これを宇佐郡に導入するために享和2(1802)年から品種改良に取り組み,野生種などとの接木を繰り返して,天保末年ごろ「群烏の諸木に泊り居るごとく見事」という大房の実がつく多収穫品種「群 烏」を創出。著書に先人の諸著書を踏まえて櫨の栽培方法を記した『櫨徳分并仕立方年々試書』などがある。長州藩の豪農林勇蔵などとも交渉があった。<参考文献>後藤重巳「『櫨徳分并仕立方年々試書』現代語訳・解題」(『日本農書全集』33巻)

(豊田寛三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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