日本歴史地名大系 「上田新田」の解説 上田新田うえだしんでん 兵庫県:西宮市上田新田[現在地名]西宮市上田西町(うえだにしまち)・上田中町(うえだなかまち)・上田東町(うえだひがしまち)・高須町(たかすちよう)一―二丁目・東鳴尾町(ひがしなるおちよう)一―二丁目鳴尾村の東、武庫(むこ)川河口右岸にあり、武庫郡に属する。もと鳴尾村地先の砂浜で、東島と西島とからなっていたが、宝永八年(一七一一)に開発されて成立。正徳四年(一七一四)八月、暴風雨に伴う高潮で四方の堤がすべて流失して再び砂浜に帰し、東島は正徳四年から同五年にかけて、西島は同六年に再開発された。大量の土を入れ田に仕立てたが、村の四方を囲む堤の外より内が低いために、長雨・大雨時には冠水し、悪水抜樋も潮の干満に支配され、干潮時でも西風が強く波が高い場合は樋を開けることができなかったという。 上田新田うえだしんでん 大阪府:大阪市大正区上田新田[現在地名]大正区三軒家東(さんげんやひがし)一丁目・同五丁目三軒屋(さんげんや)村の東南に位置し、三軒家川に沿う。もとは勘助(かんすけ)島の南に接する寄洲であったが、安永三年(一七七四)三軒屋村の上田伝兵衛が開発、その姓をとって新田名とした(西成郡史)。天保郷帳によると石高三石余で、現大正区にあたる新田の中で最小であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by