上甲立村
かみこうたちむら
[現在地名]甲田町上甲立
可愛川を挟んで高田原村の西北に位置し、浅塚村より東流する本村川に沿って集落がある。北東は下甲立村。「芸藩通志」に「広廿六町、袤三十四町、西南北皆山にて東は平田なり、浜田往還ありて市店を置き富戸も少からず、一川里中を通じ東南大川に入る、民産、工商浮業あり」とある。
「和名抄」所載の高田郡川立郷の地とされ、他の六郷と同じく、嘉保二年(一〇九五)八月一五日付の高田郡司藤原頼成解(新出厳島文書)によれば、「甲立郷参拾町」の畠地の相伝領知が認められている。異説もあるが、「閥閲録」所収の宍戸美濃家書上によれば建武元年(一三三四)春、関東より下向した宍戸朝家が上甲立菊山山系の支脈に柳ヶ城を築いて居住し、のち五竜城に移ったという。以後付近の地は宍戸氏の領知するところとなった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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