上石徹白村(読み)かみいとしろむら

日本歴史地名大系 「上石徹白村」の解説

上石徹白村
かみいとしろむら

[現在地名]白鳥町石徹白いとしろ 上在所かみざいしよ

前谷まえだに村の北西に位置し、九頭竜くずりゆう川支流の石徹白川上流、べつ山南麓の周囲を標高一五〇〇―一七〇〇メートル級の峰に囲まれた小盆地に立地。長者屋敷ちようじややしき遺跡から、縄文時代中期の北陸文化圏と東海文化圏両様式の土器が混在して出土し、古くから当地は両文化圏の接点に位置していた。江戸時代は越前国大野郡に属し、郡上藩預。白山山麓石徹白郷は、山中六ヵ村(上・中・西・下の四ヵ村と下村の枝郷小谷堂・三面)に分れていた(「御祭田定帳書」石徹白文書など)。この六ヵ村を江戸時代前期までは上石徹白(上村)村と下石徹白(中村以下五ヵ村)村とに分け、のちには後者のうち中村を中石徹白村とし、三分した。ただし山中六ヵ村の分け方についてはやや不明は点もある。石徹白の名は長寛元年(一一六三)成立の「白山之記」に「石同代ト云社マテ女人ハ参詣ス」とみえる。永享一二年(一四四〇)四月の春日社領越前国大野郡小山庄田数諸済等帳(天理図書館蔵)によれば、当地は奈良春日社領小山おやま庄の内で、「石とをしろ」殿が公文に任ぜられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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