上笠原村・下笠原村(読み)かみかさはらむら・しもかさはらむら

日本歴史地名大系 「上笠原村・下笠原村」の解説

上笠原村・下笠原村
かみかさはらむら・しもかさはらむら

[現在地名]中野市大字笠原

高社こうしや(一三五一・五メートル)山麓に広く展開している夜間瀬よませ川扇状地に発達した集落で、東と北は金井かないこし赤岩あかいわ、南は間長瀬まながせ、西は壁田へきだ村に接している。慶長七年(一六〇二)森忠政検地の頃は一村であったが、元和七年(一六二一)福島正則検地の頃より二村となり、明治九年(一八七六)に合併して一村となった。

笠原の地名は「吾妻鏡」の文治二年(一一八六)三月「関東御知行国々内乃貢未済庄々注文」に、「左馬寮笠原南条北条」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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