日本歴史地名大系 「上通町・中通町」の解説 上通町・中通町かみとおりまち・なかとおりまち 秋田県:秋田市久保田城下上通町・中通町[現在地名]秋田市大(おお)町一丁目の一部久保田(くぼた)城と土崎湊(つちざきみなと)を結ぶ道筋で、北の保戸野(ほどの)侍町と南の外町との境をなす東西の町筋である。町名について、菅江真澄は「久保田の落穂」に「此町に入るに、京都のごとく六道の辻といふ名あり、こゝより入りて四方八方に行分る。旅人ここに行かひするをもて、通り町の名を負り」という。慶長一二年(一六〇七)の町割で、当初上中下の三町に分れていたらしく、「梅津政景日記」寛永七年(一六三〇)五月晦日条に「通町中町壱町之内、下町之者肝煎別々ニ而候故、町之中ニ四拾間置門立候而迷惑之由」との訴訟があり、門を撤去したとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by