日本歴史地名大系 「上難波村」の解説 上難波村かみなんばむら 愛媛県:北条市上難波村[現在地名]北条市上難波恵良(えりよう)山の南麓に立地する集落。東は萩原(はぎわら)村・庄(しよう)村、南は八反地(はつたんじ)村、西は中通(なかどおり)村、北は浅海原(あさなみはら)村に接する。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の風早(かざはや)郡の項に「上難波村 林山有」とみえ、村高は四一一石二斗五合、うち田方三五九石六升六合、畑方五二石一斗三升九合とある。元禄一三年(一七〇〇)の領分附伊予国村浦記、天保郷帳でもほぼ同高である。難波の地名は古く、「和名抄」に「難波郷」とある。「河野家譜」によると、承久三年(一二二一)河野通信が承久の乱に敗れた時、通信に従った者のなかに難波太郎頼季・同弥太郎通経の名がみえる。 上難波村かみなんばむら 大阪府:大阪市東区上難波村現東区の西南部辺りを中心に存在した村。西成(にしなり)郡に属した。元和初年の摂津一国高御改帳では東成(ひがしなり)郡に含まれ高四二〇石余、大坂藩松平忠明領。元和五年(一六一九)七月幕府領となり、同年九月の大坂市中拡張のため村域の大部分は市街地に繰込まれた(大坂濫觴書一件)。このとき成立した上難波町一帯が村民の居住地域であったと推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報