上黒瀬村
かみくろせむら
掛畑村の南方、久婦須川左岸にある。天正一一年(一五八三)八月二〇日の知行方目録(土佐国蠧簡集残篇)に佐々成政が佐々定能に与えた一万俵のうちとして、「黒瀬内宮の越・村上・黒瀬・小原・滝之わき」三〇三俵、「黒瀬内岩屋村」一九二俵、「黒瀬内小永谷」四八〇俵とみえ、別に「黒瀬村」三六六俵が記されている。正保郷帳に村名がみえるが、村高などは掛畑村などと合せて記される。元禄一一年(一六九八)の郷村高辻帳では掛畑村の六町ほど南にある枝村新田としてみえ、高一二六石余。
上黒瀬村
かみぐろせむら
[現在地名]京ヶ瀬村上黒瀬
阿賀野川右岸にあり、西は下黒瀬村。近世は新発田藩岡方組の十四ヶ村組に属し、寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)に家数七・人数九四とある。明和四年(一七六七)の所々橋々覚書帳(豊栄年表資料)によると新江用水の上黒瀬往来橋より深堀往来橋まで二〇〇間で、この間に底樋や往来橋があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 