下久米田村
しもくめだむら
[現在地名]丸岡町下久米田
上久米田村の北西にある。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図には「久米田郷」とみえる。正保郷帳で上下に分れ、下久米田村は田方六六〇石余・畠方一八九石余。丸岡藩領。天保九年(一八三八)の御領分高免牛馬男女竈改帳(高椋家文書)によれば、家数六五、人数二三二、馬二二頭。
「越前国名蹟考」によると村は丸岡城下より鳴鹿(現吉田郡永平寺町)に至る鳴鹿道を挟んで上手と下手に分れていた。上手の山麓に久米田神社があり、社殿付近に王野宮の地名を残し、式内社久米多神社ともいわれるが真偽未詳。「越前地理指南」に「北ニ離レ山アリ、不動ノ堂アリ」と記す不動堂の後身かとも思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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