日本歴史地名大系 「下之坊」の解説 下之坊しものぼう 奈良県:天理市福住地区福住村下之坊[現在地名]天理市福住町別所(べつしよ)にある。普光山と号し、真言宗豊山派。本尊十一面観音。もと普光院永照(えいしよう)寺の坊であったといい、同寺は天平一一年(七三九)良弁の創建と伝え、かつて上・中・下・湯屋(ゆや)など六所の子坊があったという。東明(とうみよう)寺も末寺の一であった(筒井諸記)。「大乗院寺社雑事記」文明一三年(一四八一)三月四日条に「夜前自古市夜打、福住之別所之寺并在家焼払了、五六人寺法師以下被打死了」とみえ、下之坊は「別所之寺」にあたるとみられ、このとき古市氏に攻め入られて在家とともに焼け、寺僧数人が死んでいる。 下之坊しものぼう 徳島県:鳴門市大谷村下之坊[現在地名]鳴門市大麻町大谷JR阿波大谷(あわおおたに)駅北隣に位置する小堂。天文二一年(一五五二)一一月七日の阿波国念行者修験道法度写(良蔵院文書)に「大谷下之坊」とみえる。当坊の山伏は「念行者」と称した阿波国の有力山伏集団に属しており、大峰(おおみね)山や伊勢、紀伊熊野、山城愛宕(あたご)山、高越(こうつ)山といった阿波国内外の霊場への引導・代参などを行う先達だった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報