日本歴史地名大系 「下之村」の解説 下之村しものむら 鹿児島県:姶良郡横川町下之村[現在地名]横川町下ノ中之村の南にあり、村域は天降(あもり)川の支流馬渡(まわたり)川と久留味(くるみ)川の流域を占める。「下名村」ともいった(三州御治世要覧)。地内には中世の山城である佐々木(ささき)城跡や岩堂(いわどう)磨崖仏などがある(横川町郷土誌)。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳では高五六六石余。延享(一七四四―四八)頃には高六三六石余(三州御治世要覧)。 下之村しものむら 埼玉県:加須市下之村[現在地名]加須市平永(ひらなが)明願寺(みようがんじ)村の西にある。羽生(はにゆう)領に所属(風土記稿)。寛永二年(一六二五)七月水野清六郎(忠保)は、徳川氏から「下ノ村」で四五八石余を宛行われた(記録御用所本古文書)。田園簿によれば田高三二二石余・畑高二一八石余。旗本水野領と川越藩領とあるが、寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳に村名はみえず、国立史料館本元禄郷帳では水野ほか旗本二家と同松平の相給。松平家は川越藩主松平家の分家で、「風土記稿」では水野・松平と旗本富永領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by