日本歴史地名大系 「下二ヶ山手村」の解説 下二ヶ山手村しもにかやまてむら 岡山県:久米郡久米南町下二ヶ山手村[現在地名]久米南町山手(やまて)下二ヶ村の南に位置し、平坦部の同村に対し山手に立地する。「作陽誌」によれば、村内を小和田(こわだ)川が流れ、西の宮地(みやじ)村へ出る道に大物坂、東の全間(またま)村への道に金堀(かなぼり)坂、北の泰山寺(たいさんじ)村への道には岩滑坂がある。また片上(かたかみ)往来に至る道が通り、旅籠屋があった。今は旅籠屋という地名となって残る。古くは上二ヶ村・下二ヶ村と併せて二ヶ村または立野村と称していたらしく、近世初期に分村したとされる。正保郷帳に村名がみえ、田二三八石余・畑二五〇石余。寛文一〇年(一六七〇)の豊楽寺由緒書(豊楽寺文書)によれば、元和四年(一六一八)建立の豊楽(ぶらく)寺(現御津郡建部町)鐘楼堂の施主は当村の助定之彦兵衛という。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by