下姉体城跡(読み)しもあねたいじようあと

日本歴史地名大系 「下姉体城跡」の解説

下姉体城跡
しもあねたいじようあと

[現在地名]水沢市姉体町

天神林てんじんばやし新山にいやま神社の北西方にある。遠藤氏屋敷を中心とする東西二〇〇メートル×南北八〇メートルの平地帯が城跡で内館と称し、中間部には南北に走る大きな土塁があり、これにより東・西に分割される。西部が本丸で東部は二の丸であろうか。北には水濠跡がみられる。土塁には花梨と銀杏大樹がそびえ立っている。遠藤家の系図によると、遠藤氏の祖は代々内館に居住、佐久間氏を称した。内館の北の西にし館と西の松川まつかわ館には松川四郎が居城北東道場どうじよう館には遠藤義保が居城していたという。この四館は一族の居城であったと考えられる。葛西家没落のとき、一族出陣敗北して津軽波岡なみおか(現青森県南津軽郡浪岡町)に落ち、本丸内館に佐久間内膳介の弟大島三郎隼人が家老として残った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む