下小田原村(読み)しもおだわらむら

日本歴史地名大系 「下小田原村」の解説

下小田原村
しもおだわらむら

[現在地名]塩山市下小田原

上萩原かみはぎわら村からおも川を挟んで北に位置する。重川に架かる丸木橋(現小田原橋)から東の上小田原村境へ当村の南部を青梅おうめ往還が横断する。永禄四年(一五六一)の番帳にみえる「を田原の禰宜」は当村の山王権現(現金井加里神社)神職に比定され、府中八幡の勤番を命じられていた。慶長古高帳に村名がみえ、高一九一石余、幕府領。寛永一〇年(一六三三)徳美藩領となって以後の支配は福生里ふくうり村と同じ。正徳三年(一七一三)検地で高三二七石余、反別は田七町二反余・畑二五町八反余(うち屋敷四町八反余)になる(「検地帳」県立図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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