下小町(読み)しもごまち

日本歴史地名大系 「下小町」の解説

下小町
しもごまち

[現在地名]上越市ほん町六丁目

中小町の北に続く本町ほんまち(北国街道)両側町。町の長さおよそ一五〇間(高田市史)小町こまち三町の一で問屋を営む者がおり(→上小町、また呉服ごふく町・よこ町とともに旅籠屋営業の特権を与えられていた。町内の四ノ辻より五ノ辻までを俗に加賀屋かがや町と称したが、これは加賀前田家の本陣を務める加賀屋があったことによる。また五ノ辻から六ノ辻間を倉石くらいし町とよんだ。これは城下の町年寄倉石家があったため(高田市史)。天和期(一六八一―八四)の調では役を負担する町で屋敷数五四、名主一人(頸城郡誌稿)。正徳年間(一七一一―一六)の高田町各町記録(榊原家文書)によると井戸数六七、信州問屋一人・縮問屋六人・謡師一人・菓子屋一人・旅籠屋三〇人・蝋燭屋五人・五器屋一人・筆屋一人・仕立屋一人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む