上小町(読み)かみごまち

日本歴史地名大系 「上小町」の解説

上小町
かみごまち

[現在地名]上越市ほん町四丁目

呉服ごふく町の北に続く本町ほんまち(北国街道)の両側町。町の長さおよそ一三四間(高田市史)。北に中小町・下小町が続き合せて小町こまち三町とよぶ。この三町はもとは一町で、上杉氏時代には府内ふない(直江津)にあり、福島ふくしま城下を経て高田開府の時当地に移転(「頸城郡誌稿」ほか)。上杉氏時代以来問屋特権を認められ、高田城下にあっては三町に分れたが、三町に所在する問屋を小町問屋(信州問屋)といって、城下・領内商業の中心的役割を担った。天和期(一六八一―八四)の調では当町は役を負担する町で屋敷数三六、名主がいる(頸城郡誌稿)。正徳年間(一七一一―一六)の高田町各町記録(榊原家文書)によると井戸数五六、信州問屋七人・仕立屋四人・菓子屋三人・筆屋一人・箸屋一人・研屋一人・手習師匠一人。寛保二年(一七四二)の調では家数六二、名主一人、本道医師佐藤玄泰・同佐藤一安・同高岑幸庵・同山口玄達・同井沢寿軒・目医二見二伯・鍼医郡通悦・同堀内玄用が居住(頸城郡誌稿)

〔小町問屋〕

福島城下時代の小町問屋は堀氏から前代以来の慣行を認められ、旅船問屋権を保証された(年不詳七月一二日付杏助兵衛・木下大炊宛堀監物書状「頸城郡誌稿」所収)。府内時代の船問屋の業務は船荷の陸揚げ・積送り・売捌きなど多方面に及んでいたものと考えられ、なかでも信州方面への塩荷の扱いが重要な位置を占めていたと推測される。福島城下時代にもこうした特権を継承・発展し、堀氏によって保証された旅船問屋権には塩商売および船宿・馬宿営業の機能が付属していたとみられる。上杉氏時代には春日山かすがやま城下春日町も馬宿を許されていたと伝え、慶長一七年(一六一二)には福島城下春日町に信州馬宿が申付けられたが、小町問屋はその権利は自分たちのものと主張、翌年信州馬宿の独占が小町問屋に許されている(→春日町

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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