日本歴史地名大系 「筆満可勢」の解説 筆満可勢ふでまかせ 現存三冊 豊後大掾(富本繁太夫)著成立 天保一二年写本 東北大学付属図書館解説 江戸の富本節を語る芸名繁太夫なる著者が、偶然誘いのあった仙台藩領行きの船に乗り、文政一一年七月一二日、石巻に着く。石巻湊が入港困難な湊であること、瀬の変化に伴う入船の可否が旗印によって知らされること、天明期石巻で鋳せられた撫角銭が通常銭の三分の一の価値しかないことなどが書かれている。のち富本節を語りながら涌谷・小牛田・古川・岩出山・金成を経て八月六日に一関に行った。伝馬賃・舟渡賃や米の値段なども記される。活字本 日本庶民生活史料集成三 筆満可勢ふでまかせ 豊後大掾(富本繁太夫)著分類 紀行解説 一、二、五の三冊のみ現存する。一、二冊の内容は文政一一年六月二六日から天保二年二月末日までの奥羽・越後紀行日記である。筆者は芸名藤原衆秀ともあるが、江戸深川仲町の富本を語る繁太夫という芸人であることしかわからない。仙台廻船に便船して石巻に赴くところから始まる流浪の旅芸稼ぎの日々を綴る。文政一一年は盛岡で越年、翌一二年宮古・秋田・本荘を巡歴、酒田で次の正月を迎える。民衆生活の底辺を渡り歩く旅芸人の体験が生々しく記される。活字本 日本庶民生活史料集成 筆満可勢ふでまかせ 現存三冊 藤原衆秀(富本繁太夫)著成立 天保一二年写本 東北大学付属図書館解説 江戸の富本節を語る芸名繁太夫なる者の旅日記。偶然誘いのあった仙台藩領行きの船に乗り、文政一一年七月陸奥石巻着。八月一関に入り、岩谷堂―黒沢尻―花巻と北上し、九月一二日盛岡着。翌一二年八月まで県内を中心に興行を行い、九月秋田へ向け出立。見聞を中心に船渡賃や米の値段までも記す。活字本 日本庶民生活史料集成三 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by