下屋敷・庄兵衛谷
したやしき・しようべえだに
[現在地名]加賀市大聖寺下屋敷町
全昌寺の北東隅から南へ延びる熊坂道に沿った武家町。日蓮宗・浄土宗・禅宗の寺で形成される、いわゆる山ノ下寺町の一画でもある。下屋敷は藩政初期の家老神谷守政の子守応の下屋敷があったことにちなむ地名で(大聖寺藩史)、守応は正徳三年(一七一三)大聖寺藩家中の内部抗争で排斥されて金沢に逼塞した。その跡地に徒士や足軽の屋敷が配されたのであるが、当地は熊坂越で越前へ抜ける要地であり、城下南面防衛の前線基地の役割をもたされていたとみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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