大聖寺町領(読み)だいしようじまちりよう

日本歴史地名大系 「大聖寺町領」の解説

大聖寺町領
だいしようじまちりよう

[現在地名]加賀市大聖寺地方町だいしようじじかたまち

大聖寺藩邸南西の百姓地。「江沼志稿」に「慶徳寺仏裏書ニ熊坂庄大聖寺村ト云々」とみえ、大聖寺町や山田町領やまだまちりようも含めこの一帯は大聖寺村とよばれた可能性もある。寛永一六年(一六三九)藩邸が北西部の古城こじよう(錦城山)麓に建設され、城下町が形成され膨張するにともない順次町方に取込まれ、村方は南西部の当地と、南部の山田町領のわずかな耕作地だけとなった。正保郷帳はこの耕作地を「大正持町」とし、高四四五石余、田方一四町余・畑方一七町二反余、物成高一七九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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