日本歴史地名大系 「下屋敷村」の解説 下屋敷村しもやしきむら 愛知県:豊田市松平地区下屋敷村[現在地名]豊田市坂上(さかうえ)町 下屋敷巴(ともえ)川支流仁王(におう)川の北岸にあり、簗山(やなやま)―歌石(うたいし)―椿木(つばやぎ)―下屋敷を結ぶ大滝(おおたき)道と簗山―立(そだめ)―下屋敷を結ぶ立道が通じている。字重石(しげいし)の標高二一〇メートルの位置に王滝の岩陰(おうたきのいわかげ)遺跡がある。大きな花崗岩の露頭の一つで、奥行五メートル・幅六メートルの空洞には炉跡がみられ、土器片も採集された(豊田市史)。字日面(ひおも)には下屋敷古屋敷と称する屋敷城があり、現在は畑となっているが、大給(おぎゆう)松平氏の祖乗元の三男本目隼人助親正の居城と伝える(松平町誌)。 下屋敷村しもやしきむら 富山県:小矢部市下屋敷村[現在地名]小矢部市下屋敷二(に)ノ滝(たき)村の東、子撫(こなで)川左岸の稲葉(いなば)山北西麓に位置。元和五年(一六一九)の家高新帳に村名がみえ、役家数一、峠組に属する。正保郷帳では高三七石余、田方一町・畑方一町五反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高四三石・免四ツ八歩、小物成は山役一三匁(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by