下山佐村(読み)しもやまさむら

日本歴史地名大系 「下山佐村」の解説

下山佐村
しもやまさむら

[現在地名]広瀬町下山佐

飯梨いいなし(富田川)支流の山佐川下流およびその支流域の山村。北は広瀬村祖父谷おじだに村、南は上山佐村。飯梨川・山佐川合流点近くの福頼ふくよりに福頼古墳群(方墳二基)がある。中世富田とだ庄内山佐(村)に含まれた。出雲国守護京極持清の代官尼子持久は富田城に居城していたが、明徳―応永(一三九〇―一四二八)の頃、自ら一切経を一字一石に写して埋没し、子孫の永福を祈ったという下山佐経塚きようづか山があり、江戸時代に碑が建てられた。字杉森山すぎもりやまに鎮座する広国ひろくに神社境内には尼子某が解願のため三歳の童児をして手ずから三株の杉を植えさせたという三ッ児杉がある。鎌倉時代末期に父富田義泰から山佐を譲られた秀清はやがて山佐氏を称したが、その子義高は下山佐に分家して下山佐氏を称したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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