牧谷村(読み)まきだにむら

日本歴史地名大系 「牧谷村」の解説

牧谷村
まきだにむら

[現在地名]岩美町牧谷

浦富うらどめ町浦富まちうらどめ両村の東に位置する。羽尾はによお半島の西部を村域に含む。但馬往来が南西から北東に横断する。当村・相谷あいだに村一帯は中世岩井いわい吉田よしだ保に属し、竹美たけみ村と称されたといい(「因幡志」など)、寛正六年(一四六五)一二月の北野社松梅院不知行分御判注文(北野神社引付)に「岩井庄内吉田保竹美小羽尾両村」とある。正保期(一六四四―四八)作成と推定される因幡国絵図(県立博物館蔵)には吉田牧谷村とみえるが、元禄郷帳作成時に牧谷村と改めている(元禄一四年「変地其外相改目録」同館蔵)。「因幡志」に支村吉田村の名がみえ、現在も吉田屋敷よしだやしきの字名が残る。拝領高は五〇二石余、本免は四ツ四分。藪役銀三匁一分余などを課されており(藩史)、伴・伊田・高浜・高原・荒尾・宮脇の各氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」によれば家数九二で、産物は塩。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高六〇〇石余、竈数九二。安政三年宿送継場に指定された(在方諸事控)。万延元年(一八六〇)には岩本いわもと村の御船手番所が移転(同書)


牧谷村
まきだにむら

[現在地名]南条町牧谷

野見のみヶ岳と千石谷せんごくだに山の間を西流する牧谷川に沿って東西に長い谷間の村で、鋳物師いものし村の東にある。「足羽社記略」は当地について「天皇伯父麻和加介旧跡ナリ」とするが、疑わしい。村名は正保郷帳にみえ、田方四七一石余・畠方四〇八石余。貞享三年(一六八六)福井藩領より幕府領になり、宝暦九年(一七五九)以降、旗本金森家領となった。元禄郷帳までは、正保郷帳と同じく八八〇石余であったが、天保郷帳では二七二石余も減石している。


牧谷村
まきだにむら

[現在地名]広瀬町富田とだ

がつ山の南西、飯梨いいなし(富田川)右岸に位置する。尼子氏時代軍馬を飼育する牧場があったことからこの地名が生れたと伝える。侍番所・馬立長屋があり、また湯場と称する建物もあったという。湯気原ゆげはら湯観音ゆかんのんの地名が残り、温泉があったことが想像される。寛永三年(一六二六)の富田庄之内牧谷村検地帳写によると上田八反余・分米一三石余(一石六斗代)、中田二町余・分米二八石余(一石四斗代)、下田一町六反余・分米一九石余(一石二斗代)、下々田一町三反余・分米一一石余(九斗代)、計五町八反余・七三石余。上畑九反余・分米九石余(一石代)、中畑一町二反余・分米一一石余(九斗代)、下畑二町余・分米一二石余(六斗代)、下々畑九反・分米三石余(四斗代)、計五町一反余・三六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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