下市田村(読み)しもいちだむら

日本歴史地名大系 「下市田村」の解説

下市田村
しもいちだむら

[現在地名]高森町下市田

現高森町の南に位置し、天竜川沿いの沖積地とその西に発達した段丘上の平地とからなる。「市田郷」の初見は、永享二年(一四三〇)安養あんよう寺梵鐘陰刻銘である。元亀二年(一五七一)武田信玄は秋山信友に大島おおじま城(現松川まつかわもと大島)の普請を命じたが、その人足が当郷からも徴発された(「武田信玄朱印状」工藤文書)。また同年、信玄は諏訪社上社の頭役を当郷にあてた(守矢文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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