下彦間村(読み)しもひこまむら

日本歴史地名大系 「下彦間村」の解説

下彦間村
しもひこまむら

[現在地名]田沼町下彦間

彦間川中流域の段丘上に位置。東は閑馬かんま村、西は須花すばな坂を経て足利名草なぐさ(現足利市)、南は閑馬村、北は上彦間村。戦国時代、一帯は佐野氏の勢力下であったが、天正年間(一五七三―九二)長尾氏の支配下となった。そのため佐野宗綱は当地の須花坂を越え足利の長尾氏を攻撃したが天正一三年一月一日豊島氏に討取られたという(佐野宗綱記)。同年と推定される三月二七日の長尾顕景充行状(青木氏蒐集文書)によれば、「下彦間寄居」に宗綱を討った豊島彦七郎は、長尾顕景から「佐貫之庄須賀之郷之内ニ三千疋之所」を与えられている。

元和四年(一六一八)検地が行われ彦間村が上下に分村。同年の下彦間村の検地帳(小峰重男文書)によれば、田三三町六反余・畑九八町四反余・屋敷九町三反余。寛永一〇年(一六三三)近江彦根藩領となり幕末に至る。元和三年には本百姓二五・門屋百姓一三(「日光御用割付」野城勝文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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