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足利忠綱 あしかが ただつな

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

足利忠綱 あしかが-ただつな

1164-? 平安時代後期の武将。
長寛2年生まれ。足利俊綱の子。治承(じしょう)4年平氏に属して以仁王(もちひとおう)追討の軍にくわわり功をたてたが,一族の内紛で恩賞をとりあげられたという。寿永2年源頼朝方の小山朝政(おやま-ともまさ)とたたかって敗れ,西国にのがれた。下野(しもつけ)(栃木県)出身。下野(しもつけ)(栃木県)出身。通称は又太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

足利忠綱

生年:生没年不詳
平安末期の武将。藤原秀郷流の足利俊綱の子。又太郎を称す。寿永2(1183)年に木曾義仲に与同する常陸(茨城県)の志田義広と結び,下野(栃木県)野木宮合戦で志田義広が源頼朝方の小山朝政に敗れると西国に逃れた。

(峰岸純夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

あしかがただつな【足利忠綱】

1164(長寛2)?‐?
平安末期の武将。藤原秀郷の末孫で俊綱の子。1180年(治承4)以仁王(もちひとおう),源頼政の挙兵に際し,平家方として一門郎党を率いて宇治川の渡河を強行し敵を大いに破った。《平家物語》によるとこのとき17歳。この功により平清盛より恩賞にあずかったが,これを巡って一門内で紛糾がおこった。83年(寿永2)本拠下野国で源頼朝軍に敗れ,西海へ脱出した。以後の事跡は不明。【青山 幹哉】

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世界大百科事典内の足利忠綱の言及

【歯】より

…一方,睢(すい)山に住む神通力めざましい道士黄阮丘(こうげんきゆう)は口中に歯がなかったという。北欧神話の巨人ユミルの歯は石に化すほど大きかったと伝えられ,日本でも足利忠綱は《吾妻鏡》に〈その歯一寸なり〉とある。 縄文時代には成人となる通過儀礼として歯を抜くことが盛行した。…

※「足利忠綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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