正光寺(読み)しようこうじ

日本歴史地名大系 「正光寺」の解説

正光寺
しようこうじ

[現在地名]油木町近田 上谷

上谷かみたに集落の西南方にある。浄土真宗本願寺派、山号福重山、本尊阿弥陀如来。寺伝によれば正治二年(一二〇〇)創建開山和泉亦太郎、当時天台宗で、寺領一千石余、末寺六ヵ寺を数え、在地土豪の崇敬を受けたと伝える。第一〇世和泉一専が西国布教中の存覚(本願寺三世覚如の子)の弟子となり、元亨元年(一三二一)真宗に転宗。永正二年(一五〇五)備中の藤井蔵人の来襲に遭い伽藍焼失、住職らは本尊と存覚直筆の光明品を持って三日市みつかいち(現庄原市)に難を避け、その地に一寺を建立して近田山正光寺と号し数年間を過ごした。その後小畠こばたけ(現三和町)九鬼くき城主馬屋原氏らの援助により現在地に再興したという。


正光寺
しようこうじ

[現在地名]弘前市西茂森町一丁目

西茂森にししげもり町禅林街三十三ヵ寺の一つ。宗徳そうとく寺を主座とする下寺のなかにある。宗徳寺山門の北側手前に位置。松種山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。もと長勝ちようしよう寺客末寺。

長勝寺並寺院開山世代調(長勝寺蔵)によれば、文禄元年(一五九二)猿賀さるか(現南津軽郡尾上町)に創立されたとある。


正光寺
しようこうじ

[現在地名]西尾市東浅井町 不毛

浅井あさい山の麓にある。浅井山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。文明一一年(一四七九)浅井源次郎、法名了順とその母了貞が蓮如に帰依して道場を建てたのが始まりという(御自画ノ御真影)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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