下暮地村(読み)しもくれちむら

日本歴史地名大系 「下暮地村」の解説

下暮地村
しもくれちむら

[現在地名]西桂町下暮地

三ッ峠みつとうげ山の南東麓に位置し、南東を桂川の支流欄干らんかん川が流れる。南は小沼おぬま村、東方から北方にかけては山の尾根や沢を境として大幡おおはた村・夏狩なつがり(現都留市)、西は上暮地村(現富士吉田市)。同村とはもと一村で、西方にそびえる高山の山懐人家を形成していたため、早くに日が暮れたところから暮地の地名が生じたという(甲斐国志)。「日蓮聖人註画讃」によると、日蓮は弘安五年(一二八二)九月八日身延みのぶ山を発ち、一三日「呉地」に宿泊している。三ッ峠山は神鈴しんれい山ともよばれた古くからの霊山であったが、天保三年(一八三二)から空胎が修行の場として本格化した。当村はその登山口にあたり、かつて登山道を中心に数多くの小祠が鎮座し、また修験道場が開かれていたという。当村には空胎の徳を慕って多くの信者が生れた。

文禄―慶長期(一五九二―一六一五)のものと推定される四郡高〆控に村名がみえ、高一七三石余。文禄検地を反映したと推測される村高記録帳写(小野道男家文書)でも高一七三石余、寛文九年(一六六九)の郡内領高辻帳では高一九一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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